●玉屋に泊まった芭蕉
「奥の細道随行日記」によると元禄2年(1689年)7月11日(陽暦8月25日)は快晴でかなり暑かった。芭蕉主従は午前10時すぎに高田を出て五智を経て名立に泊まる予定だったが紹介状が届いていなかったのか一足のばして筒石を経てこの日約40キロ歩いて「暮テ着」というからかなり遅い時間に玉や五郎兵衛(現在の玉屋)に着いたようだった。
このことについて、相馬御風は「能生町には昔から玉やと名乗った家は1軒しかなかった。しかも、それは私の祖母の生家である。玉屋は昔仕出し屋を営んだことがあると伝えられ、現に当地有数の料亭である。代々石井姓を名乗り今右衛門を通称としてきたが、寺の過去帳によって五良兵衛と名乗った世代のあることを確かめた。芭蕉は確かに私の祖母の生家に泊まったのである。このことは私にこれまでとは違った親しさと懐かしさを芭蕉に対して覚えさせずに惜かなかった。」
(相馬御風執筆「野を歩む者」第74号昭和20年12月刊)と書いている。

●芭蕉の「汐路の鐘の句」

元禄2年(1689年)7月11日能生の玉や五郎兵衛に泊まった芭蕉は名鐘「汐路の鐘」のことを聞き詠んだ句といわれている。

【芭蕉の句碑】

白山神社の鳥居をくぐると左側奥に「越後能生社汐路の名鐘」の臣碑に芭蕉の句が刻まれている。文政5年(1822年)岡本姫山が建立したもので、それから岡本家の人々やお寺のお坊さんなどの間に俳句が盛んになったといわれている


汐路の鐘
(能生白山神社蔵)

【汐路の鐘とは】
文治(1185年〜1190)の頃、義経主従が山奥へ逃れる途次に、当時7戸の漁村であった能生浦に宿った。数旬滞在した一行は武運長久を能生山太平寺に祈って常陸坊の名を刻んだ梵鐘を寄進したといわれている。明応年間に消滅しその残銅をもって鋳返したという鐘が、今、白山神社に残っている。 (西頚城郡郷土誌)

【汐路の鐘伝説】
むかしより能生社にに不思議な名鐘がある。これを汐路の鐘といっている。この鐘は汐が満ちてくると、人がさわらずとも、その音は一里四方になり響くという。この海辺では、海士の子まで、自然と潮の満干を知っている。明応の頃、焼亡した。けれどもその残銅をもって能登の国で鋳返したといわれている。(能生町史)

松尾芭蕉(1644〜1694)
江戸前期の俳人。名を宗房。伊賀上野の人。京都で北村季吟に師事。のち江戸に下り、俳壇内に地盤を形成。深川の芭蕉庵に移った。各地への旅を通じて俳諧を文芸的に高めたが晩年には「軽み」の俳風を志向した。主な紀行・日記に「奥の細道」「野ざらし紀行」「更科紀行」「幻住庵記」「嵯峨日記」などがある(三省堂「辞林」より)


今回ご紹介させていただいた芭蕉が新潟県のこの地西浜を通った当時の研究や早稲田大学校歌、さらには良寛の研究などで知られる相馬御風は玉屋と親戚関係で、玉屋は御風の祖母の生家です。名残りは何枚かの御風書による額や「相馬御風随想」などでつながりの深さを感じます。


相馬御風書:欄間

相馬御風(1883〜1950)
詩人・歌人・評論家。糸魚川市出身。明治39年早稲田大学英文科卒。全国的に有名な早稲田大学校歌『都の西北』の作詞者。早稲田大学創立25周年に際して、坪内逍遥、島村抱月らの委嘱により作詞したもので、今なお早稲田人の心の拠りどころとなっている。トルストイの人道主義に傾倒し、多くのロシア文学を翻訳。岩野泡鳴らと「白百合」創刊に参加。同窓の片上伸、白松南山らと「早稲田文学」の編集に従事、編集の一切を任される実力者となった。一方、三木露風らと早稲田詩社を結成、口語自由詩を試みた。母校の教壇にも立った。
故郷糸魚川に帰って以後は、良寛研究に没頭した。御風宅は県文化財に指定され、相馬御風記念館として一般公開されている。糸魚川市内には駅前広場、市役所前など7ヶ所に御風の碑がある。その中の一つ、美山公園内の相馬御風歌碑には、「大空を静かに白き雲はゆく しづかにわれも生くべくありけり」と刻まれている。(糸魚川市大町)
(「早稲田と文学」より)

相馬御風創刊の短歌誌「木かげ」は現在に継続会員は全国的に拡がる。本部は糸魚川市本町1-19木かげ会。主催は汪連牙(青木昇)。短歌を通じてゆかりの人の集団。


木かげ会の活動

月刊短歌誌
木かげ、会員作品発表
御風忌厳修
毎年5月8日(本年52回)
詩歌応答

糸魚川一の宮春大祭4月10日、天津神社。日本で唯一の贈歌献詠に対して神社から答歌応答のある行事。どなたでも献詠可。

御風さんは今も生きていると人は云う

代表的名歌

  • 大空を静かに白き雲はゆく静かにわれも生くべくありけり
  • 竹の子のごとくますぐにすくすくとそだたぬものか人間の子も
  • 新雪をを手づかみにしてほほばりしかの日はるかなり老いて思ふも

人間拾遺

  • よひよひにうらの仁助が臼すりの唄きく頃とはやなりにけり
  • 父の舟帰りを遅み子どもらが磯に焚く火をわれも手伝ふ
  • となりやの赤児も病みてゐるときけ雪ふりつみて泣くもきこえず

中学は今、(御風没後50周年記念)

  • 糸魚川歌で包んだ相馬御風
          今その人を歌で包んで
     糸魚川中学校 松木 和華子
  • 御風さんあなたの家は知っている
          けどあなたの顔は見たことがない
     糸魚川市中学校 渡辺 美和
  • 「春よ来い」聞きつつ歩く帰り道
          糸魚川(ここ)ならではの五時の音楽
     糸魚川中学校 猪又 由紀

(木かげ会員/田原ふじえ記)

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